双極性障害(躁うつ病)の悩み

 

双極性障害(躁うつ病) 体験談

 

このページでは、双極性障害(躁うつ病)での体験談をご紹介しています。ハッピーライフトータルセラピーでは、体験後(3回、もしくは1回4時間以上)の感想を書いて下さり、かつ掲示を了解して頂いたお客様には、千円のクオカードを贈呈致します。

双極性障害(以前は躁うつ病と呼ばれていた)では、抑うつ状態と、躁状態または軽躁状態(軽度の躁状態)が交互に現れます。正しい診断が難しく、再発しやすい病気です。

当心理カウンセリング、心理療法では、両極端な気分の極を十分に体験し、感情の解放と統合、初め双極が起こった出来事、双極のメッセージなど、いろいろな心理療法により、感情の両極を揺れを小さくしていきます。



  双極性障害が『本当の愛』を教えてくれた 男性 30代 ゲシュタルト療法

 

 

私は23歳の冬、大学を卒業して働き始めて2年目でうつ病と診断されました。仕事を休職し、しばらく投薬治療をしていたのですが、全然病気はよくならず、結局復職できずに退職。そして、翌年の夏に双極性障害Ⅱ型と診断されました。投薬治療をしていたのに、病状は悪化してしまったのです。

 

退職後、病院の紹介で臨床心理士によるカウンセリングを受けましたが、一向に快方に向かうことはありません。でも、専門家に話を聴いてほしい、投薬治療だけでは治る気がしない、と思っていたので、インターネットで近くのカウンセラーを探しました。そんな時、堀井さんのページを見つけました。

 

最初は『ゲシュタルト療法』というものがなんだかわからず、ちょっと怪しいと思いましたが、ホームページの解説や体験談などを読み、徐々に「私にも効果があるんじゃないか」と思うようになりました。そして、思い切って予約を入れて、『ゲシュタルト療法』を受けることにしました。

 

『ゲシュタルト療法』を受けてみて、私は幼少期に両親から『無償の愛』というものを受けていなかったことがわかりました。父親はいくつも会社を経営していて、私や弟の教育にはかなりお金を費やしていました。小学生時代から私は神奈川にある有名進学塾に通い、私立の中高一貫校を受験しました。大学も世間的に一流と言われる私立大学でした。父親は仕事が忙しく、あまり家には帰ってきませんでした。母親は私を塾の試験の成績で評価する人で、東大に進学した一つ年下の弟と私を比べ、いつも弟ばかり溺愛していた記憶があります。

 

また、私たち兄弟が小学生の頃、母親が浮気をしていたのを覚えています。確証があったわけではありませんが、『子どもの勘』で、そんな気がしていました。それは私が小学6年生になり、中学受験が本格化したころには消滅していたと思いますが、「勉強しろ」と小うるさく言う母親の愛が、家庭の外に向いていた時期があったのは確かです。

 

『エンプティ・チェア技法』で母親になってみると、父親が仕事で家庭にいないことを、とても不満に思っていたことがわかりました。同時に、私たち息子をいい大学に進学させることで、『自分が良い母親』だということを、父親に認めてもらいたいと思っていることもわかりました。

 

次に、父親の立場になってみると、一生懸命に仕事をして、たくさんのお金を与えることが、私たち子どもへの愛情だと思っていることがわかりました。父方の祖父はもう他界しましたが、生前は弁護士をしていました。とても仕事熱心で、父親が幼いころに家にいることはなかったと、祖母から聞かされていました、父親も幼いころ、私のような『寂しい記憶』しか残っていないのです。祖父もお金を稼ぎ、家族に贅沢な暮らしをさせることで、愛情を与えていると勘違いしていたことがわかりました。

 

両親のそんな気持ちがわかると、私は「この家は『愛情=お金』という間違った認識が代々受け継がれている」ということに気が付きました。私も好きな女性ができると、プレゼント攻撃をして、どうにかその子を振り向かせようとしていたのです。私は大学時代、多額のお小遣いをもらっていて、バイトもしていませんでした。でも、高級外車に乗り、好きな女性とは高級レストランで食事をするのが当たり前でした。今考えてみると、当時の恋人たちは、私のことを愛していたのではなく、私から貰えるプレゼントや私のお金を愛していたように思えます。

堀井さんとのワークは全部で6回でした。その中で、私はインナーチャイルドと対話し、「自分自身がずっと『無償の愛』に飢えていたこと」を知りました。そして、病気の原因もそこにあることがわかったのです。病気になっても、両親は私を見捨てることなく、経済的な援助をしてくれました。でも、そんな『お金』の愛情をもらっても、私の心は満たされることはありません。この愛情を模した『金銭的援助』を受けている限り、私は病気を治すことができないとわかり、両親から経済的に完全に自立することにしました。

 

4回目のワークが終わった後、私は親元から離れる決意をしました。初めての独り暮らしで不安もありましたが、堀井さんのワークで病状も安定していたので、やっていける自信の方が強かったです。そして、私は埼玉にワンルームマンションを借りて、フリーターとしての生活を始めました。

 

6回目のワークで、もう独りでやっていける自信に満ち溢れることができたので、今は正社員として働くべく、アルバイトをしながら就職活動をしています。病状も安定していて、今は精神安定剤を頓服で処方されているだけです。堀井さんに「病気が『本当の愛』とは何かを教えてくれたんですね」と言われ、まさにその通りだと思います。就職して、安定した収入が得られるようになったら、『本当の愛』で私を満たしてくれる女性を探そうと思います。まだ、私自身『本当の愛』が何かよくわからないですが、『本当の愛』をもらえば、私も金銭的な愛ではなく『本当の愛』を与えられるようになると思っています。『本当の愛』を他人に与えることができるようになることが、病気が寛解することだと思います。

 

 

  双極性障害を乗り越え、働けるようになった・30代男性 ゲシュタルト療法  

私は22歳の時にパニック障害を発症し、28歳の時に双極性障害に罹りました。それ以降、まともに仕事もできず、家に引きこもることが多い生活を数年間送っていました。このままじゃいけないと思い、インターネットで堀井さんのページを見つけ、ゲシュタルト療法を受けることにしました。

 

私が病気になった直接のきっかけは、仕事上の人間関係でした。しかし、堀井さんのゲシュタルト療法を受けていくうちに、根幹にある原因は、幼少期の家族問題だということがわかりました。

 

特に強く抱いていた感情は、兄への恐怖です。兄は私が中学生くらいのころから不登校になり、家庭内暴力を振っていました。今は自立し、結婚をして別々に暮らしているのですが、実家に住んでいる私のもとへやってきて、暴力を振うのではないかという恐怖がありました。

 

エンプティ・チェア技法で兄の立場になってみると、兄の苦労や苦悩がわかるようになりました。幼少期、父親は工場で夜勤をしていました。幼い兄と私を置いて、母親が夜な夜な遊びに行ってしまい、兄は弟である私を守ろうと、すごい緊張感を感じていたのだと思います。そういったストレスが、高校受験失敗を契機に爆発し、不登校になり、家庭内暴力へとつながったのだと思います。

 

そう考えると、兄は私に対して怒りを抱いてはおらず、むしろ守ろうと大切に思っていてくれていると考えられるようになりました。すると、兄への恐怖心はだんだんと薄れていき、今では兄に電話をかけること、直接会うことにも抵抗を覚えることなく、用事があればこちらから電話をかけ、「もっと実家に顔を出せばいいのに」とまで言えるようになりました。

 

それから、母親、父親ともワークを通してちゃんと向き合えるようになり、私のインナーチャイルドは完全にというわけではありませんが、かなりの割合で両親や兄を許せるようになってきました。

 

すると、病気の方も徐々に安定し、この春から障碍者枠ではありますが、週に5日会社勤めができるようになりました。

 

堀井さんと出逢って約1年半、月に1~2度のワークをこなしていく過程で、気が付けば驚くほどの変化がありました。私は自分の中にある自分自身に正直になれるようになり、感情を表に出すことにも慣れてきました。病気はまだ寛解とはいかず、薬を飲む生活をしていますが、薬の量もだいぶ減ってきています。

 

このままいい状態をキープできれば、1~2年後を目途に今の会社で正社員登用も考えてもらえています。まだ不安はありますが、私も病気をコントロールし、安定させることに対して自信がわいてきています。

 

私のように精神疾患になり、先の見えない人生を送っている方も多いでしょう。しかし、病気は原因ときちんと向き合って、問題を解決することで、必ずいい方向にいくと思います。私の場合、そのきっかけを与えてくれたのが堀井さんでした。私の中にも、まだまだ問題は山積しています。これからも堀井さんのお力を借りて、その問題を少しずつ解決していき、病気を寛解させたいと考えています。

 「薬だけに頼る双極性障害の治療には限界がある」と実体験から感じた・ゲシュタルト療法  

私は、浪人生時代に双極性障害Ⅱ型(いわゆる躁鬱病)を患った40代の男です。

30歳以降は、入院もなく、予防程度の薬で落ち着いておりますが、
それまでの10年程度は、闘病という言葉がぴったりの時間を過ごしてきました。

発病したキッカケは、母の突然の交通事故死です。

私と父以外の家族が乗った車が、高速道路で自損事故を起こし、母が帰らぬ人になりました。

私は、大学受験の浪人生で、家で留守番をしていたため、事故には巻き込まれませんでしたが、突然母を亡くしたショックがきっかけで、病気を発症したようです。

受験勉強もロクにせず試験に臨んだり、明け方まで活発に動き回ったり、昼過ぎまで寝入ったりと、それまでとは生活が激変してしまったことを心配した家族により、19歳の春に強引に精神科に連れて行かれました。

診察を受けると暴れる危険性もあるからと、即、閉鎖病棟に入院することになりました。そして、投薬治療というクスリ漬けの生活が始まりました。

入院して二週間ほど経ったころ、父が見舞いに来たのですが、私はすでにクスリによって廃人のような姿になっていました。

父は相当驚き、この病院はまずいと判断し、病院に外泊と嘘をつき、そこを離れることを考えたようです。「病院から出されたクスリも一切飲むな」と私に指示しました。

ところが、一気にクスリを止めたせいで、今度は禁断症状のような苦しさが出てしまい、一人で家にいることも出来ず、結局はまた病院に戻ることになりました。

その時、精神病に使われているクスリの怖さを知るとともに、投薬治療だけでは双極性障害の寛解は難しいのではと考えるようになりました。

大学に入ってからも、何度か短期の入退院を繰り返しました。大学を卒業し、現在も勤務する一部上場企業に就職してからも一度だけ入院をしました。

その後、新しい主治医(現在もお世話になっている先生です)と巡り合い、クスリを最小限にした治療に方針転換していただいたころから、光が見え始めました

 

やはり過度に薬に依存しても、双極性障害はいい方向には向かないと思います。

それでも30年近薬を飲んでいるため、薬の弊害が怖く、薬を頼らないで病気を治したと考えていた矢先に、堀井さんと巡り合い、かれこれ2年(月に1回程度)、お世話になっております。

 

堀井さんとのゲシュタルト療法により、双極のブレがなくなり、激しい感情も少なくなってきたことから、この春、主治医と相談し、更なる減薬に取り組むことになりました。しかし、余りにも急激に減薬したせいで、予防もままならなくなり、今夏、激しい躁状態に陥り、家族や周囲の方々に迷惑を掛けてしまいました。

即、主治医に診察して貰い、薬の量を変えることで、なんとか克服し、この秋、冬と過ごし今は落ち着きを取り戻しています。

堀井さんからは、自分が1番したいことをやり倒すことが良いと言われていますが、その成果なのか、これまでがんじがらめになっていた、躁状態から来る物欲や性衝動から離れることが出来、現状を受け入れて、安定の中に身を置くことが出来る新しい自分になってきています。

また、躁状態の時に有りがちな怒りっぽさや尖った考えは失せ、今は、のんびり出来ています。


自堕落のような毎日を送っているため、ちょっと太ってきてしまったのが残念ですが、表情も穏やかになり、今は本当に落ち着いています。

これからも、堀井さんにご指導頂き、益々、自分を大切に、楽しむことに専念し、自分開花を進め、いつかは、薬に頼らない自分になることを目指したいと思っております。

最後に、私の体験談が、私と同じ病気で悩んでらっしゃる方々の、お役に立てれば嬉しい限りと考えております。

   双極性障害(Ⅱ型)の薬が要らなくなった  男性 40代 ゲシュタルト療法

2年前から堀井さんのゲシュタルト療法を受けています。高校時代に母が事故で急死したショックから双極性障害Ⅱ型を患い、薬を飲み続けていました。ゲシュタルト療法を毎月受けた結果、先週精神科の先生より、「もう薬を飲まなくても大丈夫です」と言われました。20年余りも薬を飲んでいた薬を服用する必要性がなくなり、堀井さんにはとても感謝しております。

すべては自分の「思い込み」による勘違い

この2年の間で、変化は他にもありました。不仲だった家族関係が円満になり、会社の人間関係も良好。プライベートも楽しめるようになりました。人間関係に対し、今までは反射的に「怒鳴る」ことや「怖がる」反応をしていたのですが、それがゲシュタルト療法を受けるたびに減っていきました。多くのことに対して、私の解釈が間違っていたことにより、怒っていることがわかりました。妻に対しても、会話していると妻が突然黙ることに、私はいつも怒鳴っていました。しかし、妻が黙っているのは、「議論を言い尽くしたので黙っている」ことがわかり、心が楽になりました。

 

このようにすべてが、私が描いた「思い込み」の世界の中で反応していることに気づきました。だんだん自分の本音もわかり、双極性障害特有のアップダウンがなくなり、とても穏やかで楽に生きられるようになりました。

   双極性うつ病(Ⅱ型)になった原因がわかった  男性 30代 再体験療法

再体験療法の初めに「一番人生の楽しい時代はいつですか」と聞かれ、私は大学時代の演劇発表会のシーンが浮かび、その楽しい出来事を繰り返しました。しかし、楽しいはずの記憶なのに次に苦しい記憶があると予感しました。発表会後、友人と喧嘩別れ、それ以降人付き合が悪くなり、演劇活動もやめてウツ状態になってしまいました。「人生の最高の時期からどん底になった」パターン(双極)の始まりだと気づきました。

献身的に愛してくれた元カノへの懺悔の気持ちに気づいた

体験を繰り返すと、友人との喧嘩でウツになったと思っていましたが、実は当時好きでもない彼女と付き合い別れたことが原因だと気づきました。彼女は、私の傍若無人な態度にもかかわらず、献身的に尽くしてくれました。彼女は私のもとを去り、その後精神的におかしくなったと噂さで聞いておりましたが、当時はなんとも感じてはいませんでした。再体験療法により、心の奥で罪悪感が強くあると感じました。体験の中で彼女に対して何度も泣きながら彼女に懺悔をしたところ、とても体が軽くなりました。人生の中で無条件に私を愛してくれたのは彼女だけでした。そして今でも無意識の中で、ずっと自分を責めていたんだと気づきました。「病気までして苦しんだから、もう自分を許してやろうと」もう一人の自分と対話して、責める自分和解できました。心も体も熱く安堵感を感じ、全身の力が抜けました。終わってみて、こんな展開になるとは夢にも思いませんでした。なんだか心の苦しみが解消した感じがします。

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